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2025-08-03
年々暑さが増しているように感じます。今年も非常に暑い日が連日続いていますが、無理をなさらず、体調に気を付けてお過ごしください。
さて今日は、「パリサイ人(びと)と取税人の祈り」と題して、ルカの福音書18章に書かれている内容を考えたいと思います。パリサイ人は当時の民衆からは、敬虔でまじめに信仰生活を送る人たちとして尊敬されていました。一方の取税人は、富を得るために支配者であるローマ帝国側についた売国奴として軽蔑され嫌われていました。
パリサイ人は立って、こんな祈りをしました。
「神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一をささげております。」一方、取税人は、遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。「神様、罪人の私をあわれんでください。」(18章11~13節)
パリサイ人の祈りは立派で取税人の祈りはダメな祈りのように見受けられますが、イエス様は取税人の祈りが神様に受け入れられ、義と認められたと言われました。
パリサイ人は、人と比較したり、自分の行いや信仰の態度を自慢した祈りでした。一方、取税人はただ神様にあわれみを乞うだけの祈りでした。
聖書には直接書かれていませんが、少しイメージを広げて考えてみたいと思います。
取税人は、同胞から嫌われても自分が儲かれば構わないと思っていた人たちでしたから、人が何と言おうと、評判が悪くなっても、自分のせいで他人が苦しんだり悲しんでも、なんとも思わない人たちでした。宗教心もなく、神の宮に来るということもありませんでした。そんな取税人が、神の宮に祈るために来るとはどんな状況があったのでしょうか? 相当困難な、自分や家族の命にかかわるようなことが起きたのかもしれません。聖書の舞台はユダヤ人を対象に書かれたものですから、このような取税人でも、義なる神様がいらっしゃることを知っていました。またレビ記などにより、罪を赦してくださる神様についても知っていました。今までの自分を振り返った時に、決して神様に喜ばれる者ではないという自覚もありましたが、自分を受け入れてくださるであろう神様のあわれみに心からすがりました。
イエス様は、この取税人の祈りが聞かれ、義と認められて帰った、と言ってくださいました。
あなたを、ありのままで受け入れ赦す神様のことがここに記されています。あなたも是非この神様の大きなあわれみ、愛を受け取り、ご自分のものとしてください。心からお勧め致します。
上里キリストチャペル
久保 哲
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