聖書ワンポイントメッセージ
2020-06-21 「ゆるぎない人生」
2020-06-14 「あなたの罪は赦された」
2020-06-07 「全世界を造られた神がおられる2」
2020-05-31 「全世界を造られた神がおられる」
2020-05-24 「わたしの心だ、きよくなれ」
2020-05-17 「神と共に歩む確かな人生」
2020-05-10 「命がけであなたを愛していてくださる神」
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2020-06-21
「ゆるぎない人生」

皆様、こんにちは。今回は「ゆるぎない人生」というテーマで聖書からお話をします。

だれしもが、人生が豊かで順調に行く事を望んでいると思います。しかし、思い通りに行かない事が多いのではないでしょうか。

今年初め、考えもしなかった出来事が起こりました。それは「新型コロナウイルス」が発生したことです。

これにより、私たちは集まり楽しい会話をすることが出来なくなりました。また、仕事も減り給与が減り、失業や廃業を余儀なくされた人たちもいます。

讃美歌に「人生の海の嵐にもまれきしこの身」という歌詞があります。人生はまさに海であり、思いもよらない嵐が吹き荒れると言えるでしょう。

聖書の中に、「ある時、イエス様と弟子たちが一日の活動を終えて、夕方、ガリラヤ湖の向こう岸に行こうとして舟を乗り出したところ、突然、激しい突風に遭う」という大変な事に出会ったことが書かれています。(マルコの福音書4章35~41節)

弟子たちの中には漁師もいました。少しぐらいの嵐にはびくともしませんが、今回は「命が危ない!」と思うほどのものすごい嵐だったのです。波が舟の中にたくさん入って来たのです。しかし、こんな大嵐に平安をもって「眠っていた人物」がいました。イエス様です。

弟子たちは悲痛な叫びでイエス様に「先生、私たちが死んでもかまわないのですか」と言いました。イエス様は起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われました。すると風はやみ、すっかりなぎになったのです。イエス様が一声かけただけで風や湖が静かになったと言うのです。普通ありえませんが、この時は別でした。なぜなら、イエス様は「神の子キリスト」だからです。

私達は人生が順調にいっている時はあまり考えないものですが、いざ、問題が起こると、慌てふためき困惑します。「なぜ? なぜ? なぜ?」と思うのです。イエス様は嵐の中で命の危険にあっても「平安」でいました。

今回のように失業や廃業した人は働きたいのに働けず生活が出来なきないのです。ストレスがたまり、これから「どうしたら良いのか」と考えこんでしまいます。

イエス様は弟子たちに言われました。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか」と。

大変なことが起きたとしても常に平安を持って「ゆるぎない人生」を歩みたいと思いませんか。それは、イエス様に対する信仰(信頼)です。

続けて聖書の話を聞き、この素晴らしいイエス様を知って頂きたいと思います。心からお勧めします。

上里キリストチャペル
大塚高男
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2020-06-14
「あなたの罪は赦された」

今日も聖書から考えていきましょう。
なかなか出口が見えない新型コロナウイルスとの戦いが続いています。多くの方が疲れと不安を覚えていらっしゃるのではないでしょうか。

さて、聖書マルコの福音書2章に、中風(脳卒中等で麻痺が残る病)を患った人が出てきますが、彼もまた先の見えない戦いの中で疲れや不安を覚えていた人であったと思います。
彼の仲間たちは、彼を担いでイエス様のところに連れてきます。「この方に会えば必ず何とかなる」と信じたからです。
しかし、最初にイエス様が彼に言われたことばは意外なものでした。

「イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に『子よ、あなたの罪は赦された』と言われた。」(2:5)

イエス様は、その病をすぐに治されたのではなく「あなたの罪は赦された」と言われたのです。
周りで聞いていた群衆のざわつきをよそに、この人の反応は私たちに大切なことを教えています。
続いてイエス様は、彼にこう言って中風を治されます。

「『あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。』すると彼は立ち上がり、すぐに寝床を担ぎ、皆の前を出て行った。」(2:11)

さて、ここで大切なこととは、この人にとって何が本当に重要で本質の問題であったのか、ということです。
彼が治った後の行動を見れば、実に淡々と家に帰った様子が描かれています。この人にとって、最初にイエス様が語られた「あなたの罪は赦された」ということが、彼にとっては本質の問題であり、彼はそれに気づき本当の意味で人生の問題の解決を得たのではないでしょうか。その時点で、もうすでに彼の問題は解決していたからこそ、病がいやされたことは彼にとって二次的な喜びであったため、淡々として寝床を担いで家に帰ったのだと思います。

さて、現代の私たちが抱える問題の本質はどこにあるのでしょうか。
それは、私たちの創造主である神様を無視した生き方から来る「罪」の問題です。
この問題の唯一の解決方法は、イエス様の十字架の贖いによる罪の赦しを受けることだと聖書ははっきり伝えます。

あなたは、この語りかけに、どう応答しますか?
「あなたの罪は赦された」
私たちの罪を赦してくださるために、私たちの身代わりにイエス様を十字架でさばいてくださった神様の大きな愛を受け入れ、変わることのない希望に満ちた人生へと進まれますよう心からお勧めいたします。

上里キリストチャペル
田島美佐夫
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2020-06-07
「全世界を造られた神がおられる2」

創世記1章1節
「はじめに神が天と地を創造された.」

皆さん、こんにちわ。今回も、先週に引き続き、同じテーマで考えてみたいと思います。

ところで、皆さんは、上記の聖書の言葉を読んだ時に、「そんなことはないな。」または、「バカらしい考えだ。」と感じた方もいると思います。
なぜ、そう感じたのでしょうか?
それは、皆さんがこれまで受けて来た教育によります。
実は日本の教育は、小学校から大学まで「進化論」が根底になって構築されています。
ご存知でしたか?例えば、中学校の社会では、進化の過程として猿人が生まれて来たことを教えています。理科では、進化論が一つの「理論」であるにもかかわらず、あたかもこれこそ真実の考え方であるかの様に取り扱われています。「系統樹」という進化の過程を木の成長に模して表した図を思い出す人も多いのではないかと思います。
ある時偶然に一つの細胞が生まれ、その細胞が増え多細胞へ、そして、最後には人間へと繋がっていくと教えられて来ました。
ですから、この聖書の言葉を聞くと、反射的に「間違っている。」と感じてしまうわけです。

しかし、考えてみてください。無から有が生まれるのでしょうか? 0に幾つを掛けても0である様に、無から有は生じないのです。また、進化の重要な過程は「突然変異」と言われていますが、現代の「細胞レベル・染色体レベルでの解析」から、それは無理があることは明らかなのです。

進化論的に考えるならば、「私が生まれて来たのも偶然、生きる目的も不明瞭、死ぬのも偶然」となります。

しかし、聖書は「神が造られた」と言います。そして、「あなたは、神に愛されて、神の豊かな選びの中でこの世界に生まれて来た。」と教えます。人は、この「創造主=神」を知る時にそこで人生が変わります。例えてみると、白黒の映像が、突然カラー映像になる如くです。

今は「コロナ災害の時期」です。どうか、この様な時にこそ「私を造られた創造主=神とは、どんな方なのか」について、考えてみませんか?

このメッセージは、これからも続きます。是非続けてご覧ください。また、チャペルで午後の集まりが再開された時には、是非上里チャペルの「BCH(バイブルコーヒーアワー)の時間」に来場されることを期待しています。

上里チャペル
市川 忍
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2020-05-31
「全世界を造られた神がおられる」

創世記1章1節
「はじめに神が天と地を創造された。」

この世界はどのようにしてできたのか。その疑問に、聖書ははっきりと答えています。
私たちの住む地球、太陽や月、それら含め20億個の星をもつ銀河系、さらにその銀河が1000億個以上もある広大な宇宙。
また、私たちが住む地球上のあらゆるもの、まだ知られていないものも含めると870万種いるといわれている生物、空気や水、そして、37兆個もの細胞でできている人間。
すべてのものは偶然にできたのではなく、神が目的をもって造られた、というのです。そのことにどんな意味があるでしょうか。それは、私たちが偶然に生まれた価値のない存在ではなく、私たちは神が私たちを創造しようと決心なさったほど、神の目に尊い存在だということです。

イザヤ書43章4節
「私の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」

神は私たちを愛しています。そして、私たちが神の永遠の故郷である天国へ行って神とともに住むことを望んでおられます。そのために、神は十字架によって私たちの罪の代価を支払うことで、天国に行くことを可能にしてくださったのです。
神が人間を造った最も大きな目的は、愛による交流をもつためです。神は人間を考える存在として特別に造り、自由意志を与えられました。したがって、人間は何かをしたり、しなかったりする自由を持っています。

私の好きな聖書のことばに、次の箇所があります。

詩篇19篇1~4節
「天は神の栄光を語り告げ
大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ話を伝え
夜は夜へ知識を示す。
話しもせず 語りもせず
その声も聞こえない。
しかし その光芒は全地に
そのことばは世界の果てまで届いた。」

全世界を造られた力ある神がおられます。そして、神は私たちを愛してくださっています。ぜひ、神の愛に応えて、神とともに歩む人生を選択していただければと思います。

最後に、宇宙飛行士のジェームズ・アーウィンのことばを紹介します。

「地球は宇宙の暗闇に浮かぶクリスマス・ツリーの飾りを思い起こさせてくれる。
遠ざかれば遠ざかるほど小さくなり、遂にはビー玉ほどのサイズになる。
想像できないほど美しいビー玉だ。この美しく、温かく、生きた物体は非常に壊れやすく、繊細に見え、指で触れれば、砕け散ってしまいそうだ。
これを見た人間は変えられ、神の創造と神の愛を感謝せずにはいられなくなる。」

上里キリストチャペル
坂藤 頌一
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2020-05-24
「わたしの心だ、きよくなれ」

今日も、ご一緒に聖書から考えてみましょう。

今、私たちは新型コロナウイルス感染症の脅威にさらされていますが、今から2千年前イエス様がおられた時代にも感染症はありました。これはイエス様と出会った感染症患者が癒やされたという記事です。

「さて、ツァラアトに冒された人がイエスのもとに来て、ひざまずいて懇願した。『お心一つで、私をきよくすることがおできになります。』
イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、『わたしの心だ。きよくなれ』と言われた。すると、すぐにツァラアトが消えて、その人はきよくなった。」(マルコの福音書1章40節~42節)

このツァラアト(重い皮膚病)という病は当時不治の病として特に恐れられていました。また、当時のユダヤ人社会では宗教的汚れを嫌い、その汚れた者にさわればその人も汚れるとされ、コミュニティーから完全に排除されて一生を終えなければなりませんでした。いわゆる隔離政策です。

ここで、イエス様は当時では考えられない行動をします。「彼にさわった」のです。これはイエス様自身もユダヤ人社会から排除されてしまう危険をはらんでいました。しかし、イエス様は彼にさわって癒やされたのです。

このことは、イエス様の愛のご性質をよく表しています。感染や汚れ、人々から排除される恐れがあったにもかかわらず、彼を深くあわれみ彼の患部をさわって癒されたのです。
もちろん神であるイエス様は、さわることはせずに「ことば」をもって癒やすこともできました。しかし、あえて彼に「さわり」癒やされたのです。
本当にイエス様の深いあわれみと愛がよく表された記事だと思います。

さて、そのイエス様の愛の究極の現れは何でしょうか。それは、聖書のメインテーマである「私たちの罪の身代わりに十字架で死んでくださった」という事実です。

聖書は、私たちが創造主である神様を忘れた結果、「罪」を持つ者となったと語ります。身体の病は私たちが生きている間だけのことですが、心の病である「罪」は永遠に私たちを苦しめる病であります。この心の病の癒やし、完全な罪の赦し、永遠のいのちを与えるために、神様は、救い主イエス様を送ってくださったのです。

今日、イエス様は、あなたの心にも語りかけています。
 「わたしの心だ。きよくなれ」
ぜひ、この罪の赦しと永遠のいのちを受け取ってください。心からお勧めします。

上里キリストチャペル
田島美佐夫
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2020-05-17
「神と共に歩む確かな人生」

 このホームページを見てくださる皆様、こんにちわ。今回も聖書の話をお聞きください。

 ところで、高校時代、授業で先生が「◯◯君、もし、無人島で、1冊しか本が持っていけないとしたら、どうするかな?」と聞きました。彼は「聖書を持っていきます。」と答えました。次の生徒も同様に答えました。先生は「なるほど、みんないいこというな。」と言い、授業は進みました。何げない一コマでしたが、私は、「聖書って大事なのだ。」と感じたことを覚えています。その後、私は、アメリカ人宣教師に出会い、聖書の紹介するまことの神を信じ、クリスチャンとなりました。今、50年が経ち、確信を持って言えることは「全ての人にとって聖書の話(福音)はいのちの次に大事なものだということです。」

 さて、聖書の中に
「今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売してもうけよう」と言っている者たち、よく聞きなさい。
あなたがたは、明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。あなたがたは、しばらくの間、現れて、それで消えてしまう霧です。
あなたがたはむしろ、「主のみこころであれば、私達は生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう」というべきです。(新約聖書:ヤコブの手紙5章13節~15節)
という箇所があります。

「明日のことは、分からない。」ということが今の実感ではないでしょうか。
現在、コロナの疫病で世界中が止まってしまいました。誰が、このような世界を想像したでしょうか? 明日の確実な保証は誰にもないのです。

上記の聖書の言葉で注目は後半の「主のみこころであれば…」です。主とは神のことです。私達は神にあっていのちの保証があり、安心して日々過ごすことができる。というのです。

聖書の紹介する神は、罪を犯した私達のためにイエス・キリスト(救い主)をこの地上に送ってくださり、イエスが十字架にかかり、私達の罪の身代わりに死んでくださったことにより、信じる者を罪の滅びより救ってくださる。と約束された方です。

 今は、まさに先の見えない時代です。しかし、「神を信じ、神と共に歩む」ことで安心した確かな人生を歩むことができるのです。

上里キリストチャペル
市川忍
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2020-05-10
「命がけであなたを愛していてくださる神」

最初に聖書のことばをご紹介いたします。

ペテロの手紙第一 1章18節から19節
「ご存知のように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」

ペテロの手紙第一 3章18節
「キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。」

初めて聖書のことばに接する方には難しいかもしれません。しかし、私たちに近づいてくださる神様のメッセージとして、このことばを味わっていただきたいと思います。
私たちが生まれ育った日本では「聖書」に触れる機会がほとんどありません。学校の授業でも、日本の生活習慣の中でも、聞くことも見ることもほとんど稀です。
しかし、今このメッセージを見てくださっているあなたは、今日、聖書のことばに接しています。このページにアクセスしてくださり本当にありがとうございます。
是非、神様について知っていただきたいと思います。

ポイントを箇条で記します。
①生まれながらの生き方は、拠り所がなく、不安定である。
②私たちを贖ってくださるために、神であるキリストが犠牲となってくださった。
③キリストが十字架につかれたのは、正しくない人、すなわち私たちの身代わりとしてであった。
④キリストの十字架を通し、私たちは神の下に霊的に生かされた者となり、神様との生きた交わりが回復される。

今までに神様を知る機会が少なかったと思いますが、実は、神様は命がけであなたのことを心配してくださり、愛してくださっていたのです。
神様が造られた自然や、私たち人間の体やいのちを見るときに、神様について知ることができます。
聖書を通しても神様を知ることができます。
ただし、そのような神様について考えられるチャンスを見過ごしてしまうと、神様を知ることができません。
今日、このメッセージを通して、また聖書のことばを通して、静かに立ち止まり、神様に向き合って、神様の語りかけに耳を傾けていただきたいと思います。

私は、この神様を知ることができ、信じることができ、いつでも神様に寄り添いながら歩むことができる幸いを本当に感謝しています。
神様はあなたにも近づいてくださっています。
神様からの恵みがあなたとともにありますように、お祈りしております。

上里キリストチャペル
久保 哲
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